4月14日(日)日記 「素麺、コーヒー、不安」

午前中に仕事があったので、7時前に起きて半ごろに家を出た。外はいい天気で朝の風は少し冷たく気持ちが良い。つい夜更かしをしてしまい寝不足だったが、風にあたると頭がすっきりする。深夜に急にお腹が空き、余っていたご飯をお腹に入れたため食欲が無かった。コンビニでキレートレモンを購入し、朝食とした。

 

昼頃に仕事が終わって帰路についた。昨日同様上着がいらないくらいの気温だ。スーパーに立ち寄ると急に素麺が食べたくなり、買い物カゴに入れた。ちらりと揖保乃糸の方を見ながら150円ほど安いスーパーのオリジナルブランドの安い方を手に取る。これも十分に美味しい。

 

家に着くと、寝不足、疲れ、暑さによるバテが一気に襲ってきて、電池が切れたように眠った。起きると16時で、ろくにものを食べていないことに気づく。食欲があるのかないのかわからない眠気の冷めない体で、買ってきた素麺を茹でた。つゆに氷を入れるとパチパチ音がしてまだ4月だが「夏だなあ」と思う。氷のぶつかる音、溶ける音は夏の音である。

豚肉となすを添えた薬味たっぷり素麺

一口啜るとあるのかどうかわからなかった食欲がみるみる湧き上がってきて、夢中で食べた。つゆの塩味と冷たい感触が乾いた口内にじんわり沁みて幸福を感じる。

 

コーヒーを切らしていたので、豆を挽いてもらうため近所のコーヒー屋さんに足を運んだ。ここ最近念願のドリッパーを購入し、是非とも使いたいということで通うようになった。アイスコーヒーが飲みたい気候になってきたので、今回はフレンチローストの豆を挽いてもらった。

コーヒーを飲みながら本を読む

家に帰って、早速ドリップする。お湯を注ぐと広げたペーパーの中で水分を含んだ粉がぶわわと膨らむ。ポタポタと抽出した液体がビーカーに落ちていく。見ているとなんだか気持ちが和らぐ。凝り固まっていた心がぶわっとほどけて、悪いものが出ていくような感じだ。呼吸ができる。コーヒーを淹れるという行為は一種のセラピーかもしれない。

 

この日記もセラピーの一種として書き始めた。さまざまなことに不安を抱える性分であるので、気を紛らすためのものがたくさん必要になる。不安はいつも私をつけねらっており、ふとした瞬間に私の心の大事にしている部分に忍び込もうとしてくる。

公開という形で日記をつけようとすると、せっかくなので嬉しかったことやいいなと思ったことを綴りたいなという気持ちになる。するといつも不安に脅かされている私の心のやわらかくあたたかい大切な部分と向き合うことができる。文章を考えているとき、それは私の中に侵食できない。それはどうしても無くならないので、いかに相手にしないかという方法を考える方が建設的で、日記を書くという行為はその1つであると実感している。

 

本を読んでいると日が落ち始め、夜が来た。お風呂に入り、課題を進める。週末はいつもあっという間に過ぎ去っていく。

 

(4月14日 深山トキエ)